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2015.02.01 (Sun)

空気感

この土日で2本のミュージカルを観ました。
何気に今年の観劇初めです。

1つは赤坂アクトシアターの「メンフィス」、もう1つは国際フォーラムの「ボンベイドリーム」。
一方は1950年代のアメリカ、テネシー州の街メンフィスが舞台で、もう一方はボリウッドに沸くインドの街ボンベイが舞台でした。「ボンベイドリーム」の舞台はざっくり言えば現代なのかな。
そして、どちらも主役の男女2人の「住む世界」が違う物語。

お恥ずかしながら私は1950年代のテネシーでは白人と黒人が法律上婚姻出来なかったなんてことを知りませんでした。中学か高校の授業でバスの白人専用の席に座った黒人女性が逮捕された話を教わったはずなのに、それが第二次世界大戦後の時代というか、自分の親世代であればもう生きていた時代の話だなんて、全然ピンときていませんでした。ムンバイのボリウッドであったりスラム街であったりについても全然ピンと来る状態ではなかったし。

しかし、こういう作品を日本で上演し、空気感を伝えたりその社会背景を自明として物語を進めることって本当に難しいなあとつくづく感じます。「自然に」伝わるなんてことはまず無理だろうし、かといっていちいち物語を止めて説明することも出来ない。
どちらの作品も力のあるキャストを揃えていただけに、素晴らしい演技や歌やダンスをまとめ上げるだけではなかなか届かない何かについて帰り道にぼんやり考えてしまいました。

それぞれについて思うことを書き始めると長くなるので特筆すべきことをひとつだけ。
メンフィスで主人公ヒューイを演じた山本耕史が素晴らしかった。初めて舞台で観たけど、演技も歌も素晴らしかった。というか個々の技術で分けて考える隙がない素晴らしさでした。
何の悪気もなく、ただ自分の成功と愛する人との幸せを考えているのに、自分の住む「世界」のルールを無視してしまう。強者側の人間のルール違反と弱者側のルール違反ではまるで意味が違い、受ける制裁も異なることも無視してしまう。格好いいけれどダメで、どうしようもない人間だけどヒーローで、だから単純には評価出来ないヒューイをとても印象的に演じていました。

今年も素敵な舞台に沢山出会えますように。
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2014.08.14 (Thu)

「War Horse 戦火の馬」

ちょっと前にシアターオーブで観てきました。

これ素晴らしいです。
なんといっても登場する馬がすごい。
大人3人で1頭の馬のパペットを操っていますが、このパペットがすごい。着ぐるみみたいなものを想像していると全然違う。しかも大人がそこに乗って軽く走ることも出来る。あえて本物に似せているつくりではないのに、動いている時は本当に生き物のように見えて、迫力もすごかった。
本物に似せているつくりではない、というのは、剥製のような見た目ではないという意味です。ぬいぐるみっぽさもなくて、骨組みで馬の形を作っているようなパペットです。
そして、この馬が本当に生きているように見える分、死んだ時の「もぬけの殻」感がすごいのです。魂が抜けてしまった生き物を、生きている人間が演じるよりも強烈に表現できているように感じました。

なんというか文楽にちょっと似ている部分もあるかなあと思っていたら、パペット担当の方のインタビューにも文楽の話が出ていて、ああやっぱり文楽の技術や表現を知っているのかと妙に納得しました。

この公演のサイトを見ると、戦場(第一次世界大戦時のフランス)で愛馬を探し続けた少年の感動的な物語という部分を推しているようだけど、個人的にはこの舞台で描かれている戦場が本当に怖くて、強い印象が残りました。とにかくどんどん死ぬ。というか殺される。
イギリスの片田舎から出征していった騎馬隊がカレーの港に着いた時に現れる負傷兵の列が、いきなりまず怖いのね。屍の行進、あるいは死神にしか見えなかった。
そしてそれが暗示していたように、騎馬隊は奇襲攻撃の失敗でぼろぼろになり、そこから後はもうイギリス兵だろうがドイツ兵だろうが出て来ては死んでいく状況。
もちろんちょっと笑えるやり取りだったり、ほっとするようなシーンもあるけど、結局戦火の中でどんどん死にます。

徹底していると感じたのが、どんな人ももう見事に犬死にしていくところ。
私はそもそも戦争をテーマにした作品って、小説でも映像作品でも舞台でもそんなに好きじゃなかったのだけど、その理由のひとつがはっきりわかった気がします。
戦争で死んでいく人に過度に見せ場や「栄光」を与える話が苦手なんだなと。
戦争における一個人の死に意味なんてないし、栄光や名誉なんてないよ、ただの無駄死になんだよ、というシーンをこの作品では繰り返し見ることになります。
そして更に、そんな人間の戦争につき合わされて一緒に死んでいく馬たちの理不尽さ。
私は、物語としての見どころはここなのではないかと思いました。
奇跡的に再会する主人公とその愛馬のエピソードが余分だとは思わないけど(そもそも原作は児童文学だし)、主人公はこの後PTSDで苦しまないはずないよな、とか、馬にもPTSDとかあるのかななんて余計なことも考えてしまうくらい戦争が怖いという作品だなという感想です。

奇しくも今年はこの物語の舞台である第一次世界大戦開戦から100年という節目なのですね。
そういう点でも観ることが出来て本当に良かった作品でした。
タイトルの通り、戦争と馬の物語なんだなあと。

そもそも物語の発端になる主人公の父親とその兄弟である叔父の不仲であったり、父親がお酒やギャンブルで身を持ち崩しそうになっているのも、背景には前に起きた戦争があったことを伺わせる作りになっていて、なんというか、本当に一貫してるなあと、見終わった後にもああそうかと思ったのでした。

あと10日くらい公演しているのでぜひぜひ。

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2014.04.05 (Sat)

NTLive「フランケンシュタイン」ふたたび

アンコール上映が行われたので、喜び勇んで観てまいりました。
先週がAバージョン。ジョニー・リー・ミラー(JLM)が怪物、ベネディクト・カンバーバッチ(BC)が博士のバージョン。そして今日はBバージョンで、配役は逆に、3月に一度見たバージョンです。

しかし、配役が逆転するだけでこうも印象が変わるものかねえと、本当に驚きました。役者ってすごいなあ。演じてる役者が替わると、同じ役者が演じている役の方も印象が変わるので、それもとても面白かった。
以下個人的な感想。

怪物はJLM版は、最後まで無邪気さや夢を見る力が残っているように見えてそれがとても悲しかったし、BC版はものすごいエネルギーの怒りがずっと見えていて、そしてそれが押さえつけて殺そうとしてる悲しみが時々見えるのがまた悲しかった。2人の怪物は精神年齢が結構違うんじゃないのかなあ。
JLMの怪物の方が、動きはどんどん人間らしくなっていって、その分、絶対に人間にはなれない、受け入れてもらえない悲しさ、愛されない子供の印象を強く与えました。そう、最後まであどけない子供みたいな部分が残ってる。BCの怪物はすごく大きく動いていて、動きという点ではとても怪物っぽい。
Bバージョンの方が舞台の真上のカメラからの映像が多かったように思うのだけど、これはBCの怪物の体の動きを引きで見せたいからなのかなと思ったりしました。

一方博士は、BCは「狂っていく」感じではなくて、最初から完全に狂っている部分を抱えてるように見えました。その部分を除いてしまえば、実は良識も理性もあって、でもその徹底的に狂っている部分は絶対直らない。エリザベスと平然と結婚しそうだけど、エリザベスの望む結婚生活は絶対訪れないのだろうなと確信する感じ。
JLMの博士は、きっかけがあって道を踏み外していったという印象。一度きってしまった舵を戻すことが出来なくてどんどん狂っていくのを自分でも止められないというような。だからエリザベスとは結婚出来そうにない。でも、なにかのきっかけで改心して結婚が出来そうな気がするし、そうなれば過去を水に流してエリザベスの望むような生活を送れそうなのはこちらの博士かなと。

2人の違いで印象的だったのは、結婚の夜、エリザベスに怪物の創造を告白した後でなぜそんなことをしたの?と聞かれた時の反応。
なぜ?と聞かれて、 どちらの博士も虚をつかれたような顔をして一瞬沈黙するのだけど、BCの博士は、そんな自明なことをなぜ言葉で説明しなければいけないのか、と心底不思議に思っているように見えるし、JLMの博士は、なんでそんなこともわからないのか(この愚かな人間は)、と苛立っているように見えました。そこが全然違うように見えたのです。

これはどっちも観て正解だったし、時間やお金が許せば両方観たほうが絶対いい作品ですね。

物語として面白いなあと思ったのが、この作品中の女性の存在。
全員殺されるのですが(グレーテルはわからん)、なんというか、新しい可能性、もしかしたら明るい未来に繋がるかもしれない何かを匂わせて、その挙げ句に殺されるという構図が続きます。
例えば「美しいアガサ」が、自分の子のように怪物を受け入れ、夫や義父と暮らす未来があったら。女の怪物が命を吹き込まれ、同じ種同士で幸せに暮らす未来があったら。エリザベスが怪物の友達となり、博士との和解を助け、幸せに暮らす未来があったら。
書いていて、まあ絶対ないよねそんな未来とは思うのだけど、一瞬だけそういうものを見せてくれているように感じました。で、無惨に奪う。その繰り返しなのですよ。
作品での女性の扱いについて「徹底したミソジニー」と評した方もいて、そうかこれはミソジニーなのかとぼんやり思ったりもしたのだけど、私はあまり憎しみや嫌悪という印象は受けませんでした。なんでだろう。
イブを迎え入れることで転換する世界を拒絶して、さらに追いつめられ破滅に向かっていく創造主とアダム、実はどちらもアダムだった2人の物語。でも女性の扱いがあんまりだという点には賛同します。
原作者が若い女性であることは、面白い事実ではありますよね。

そういう意味では、大変誤解を招く言い方かもしれないけど、徹底して世界から女性を締め出すタイプのBLにも似てるような気はしました。誤解されるとあれなんでちゃんと言いますが、お話は全くBLではないです。

DVD化しないと明言されている作品なので、また見たいと思ったらイギリスのナショナルシアターのライブラリで予約して見るしかないらしいのが残念です。TOHOのナショナルシアターライブが順調に続くなら、忘れた頃にまたアンコール上映してくれないかなと願っております。

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2014.02.23 (Sun)

ナショナルシアターライブ「フランケンシュタイン」

横浜のTOHOシネマでナショナルシアターライブの日本上映第一弾となる「フランケンシュタイン」を観ました。
メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」が原作で、脚本はニック・ディアー、演出はダニー・ボイル。ジョニー・リー・ミラー(JLM)とベネディクト・カンバーバッチ(BC)が、ビクター・フランケンシュタイン博士とクリーチャーの両方を交互に演じます。イギリスで2011年に上演された作品。
この時BCは既にBBCのシャーロックを演じていたわけですが、JLMはこの後CBSの「エレメンタリー」でホームズを演じていると言うなんとも不思議なキャスティング。

私は映画に疎いので全然知りませんでしたが、ダニー・ボイルって映画監督として有名な人なんですね。あとロンドン五輪の開会式の演出とか。

私が観たのはBCがクリーチャー、JLMが博士を演じたバージョンです。先週末は逆バージョンを上映していましたが観にいけませんでした。残念だなと思っていたら、来月末に再上映が決まったので、逆バージョンも必ず観ます。
片方だけでは物足りないというわけでないはないけど、片バージョン観てしまうともう一バージョンも猛烈に観たくなります。

クリーチャーはあっという間に聡明で教養深い大人になり、しかし屍肉から作られた体、外見に生まれたために人間社会に受け入れられない。父である博士に捨てられた悲しみや苦しみ、怒りを抱き続け、やがてたった1つの願いとして自分と同じ種、クリーチャーの伴侶を求める。悲しみと怒りが混ざったような苛立ちがずっと見え隠れして、怖いけれど見ていて辛くなるシーンが多い。
博士は、狂気を突き進む科学者というよりは、なんとなく本人もそこまで重大なことだとは気づいていないままにうっかり引き返せない道に迷ってしまったような、根は善良な人間なのではないかと思わせるような雰囲気もある。なんでこうなってしまったんだろうと、クリーチャーの感情の爆発を見ているのとはまた別の意味で辛い。

すごく面白かった。でもまだまだ消化出来てないので、感想がうまくまとめられません。
ちなみに、物語に興味がもてなかったとしても、クリーチャーを演じるBCの体の使い方が凄まじいので、演じる身体に興味がある方はぜひ観にいって欲しいなあと思います。プロの役者なのだからもちろん使える範囲で制御して使っていると思うけど、あれで怪我をしないほうが不思議だなと思いました。

そういえば舞台作品を上映作品として観たのは初めてです。
日本だとゲキシネなど名前は知っているけど、基本的には劇場観劇至上主義だし、そういった上映ってまだまだ作品が限られているので、あまり興味をもったことがありませんでした。
ただ、海外上演作品となれば話は別で、どれだけ観たくても都度イギリスに行けるようなお金も時間は当然なく、そもそも英語無理だし、こういった試みはすごくありがたいなあと思います。

劇場観劇が大好きな人間としては、カメラワークが結構凝っているのが若干気にはなりました。
観劇の楽しいところは、席による制限はもちろんあるにせよ、上演中舞台上のどこを見ようが、見てなかろうが個人の勝手という視点の自由があるところ。しかしカメラを通して見る場合、より制作側が見せたいものを見ることになる。前半特に舞台真上からのアングルが多くて、最初は面白いなーと思っていたけど、段々その視点はもういいから客席視点で見せてもらえないかなあと思ったりもしました。
映像にする以上、役者のアップはそれなりに使いたいのだろうというのはわかる。でも、どの客席からも、例えオペラグラスを使っても絶対そんな風には見えないっていう映像は本当に入れる必要があるのかあと若干思いました。

そして、大きな問題は字幕が雑過ぎること。
もっと全然色々しゃべってるよ?と、私レベルの英語耳でも思ってしまうはしょり具合で、多くの意味を持たせるために練り込まれた台詞とか全くわからないよなこれじゃと思いました。
字幕はもう少し丁寧に作ってもらわないと、今後も続けていくには厳しいのではないかと感じます。英語上演の作品とはいえ、英語が全くわからない人もターゲットにしていると思うのだけどどうなんだろう。
あと、字幕を出すタイミングも雑。2人の会話のシーンで、まだ一方が一切しゃべってないのに、その応答の簡素なまとめみたいな字幕を一気に出しちゃうとかどうなんでしょうね。やむを得ないケースはあるだろうけど、あまりに会話の間を無視されるはつらい。

とまあとりとめなく書いてみましたけど、今後も興味のあるラインナップが続くので、もうしばらくは試してみようかなあと思っています。

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2011.05.07 (Sat)

5月文楽

5月の文楽東京公演、なぜか勢い余って初日に行ってきました。
午前の部は襲名公演(しかも太夫と三味線お二人)のため、ロビーも華やかなムード。しかし午前の部はチケットが取れず、私は午後の部だけ。

開演前と休憩中、ロビーで東日本大震災の義援金を技芸員さんたち自らが立って集めていたのですが、並んでる皆さんが若手の皆さんとかじゃなくてびっくりしました(失礼)。開演前は勘十郎さん、玉女さんとかがいらした気がするのですが、なんか雰囲気すごくて(当然ぴしっと袴姿)あそこにいってお金入れてくるの緊張するよな…と思いました。義援金箱の横にお人形がいて、近寄ってみたい気持ちはありつつ、なんというか、ミーハーに近寄ることも出来ず遠巻きに眺めてました。


お目当てだった「絵本太閤記」の尼ヶ崎の段はやっぱり面白かった。
武士の忠義とか美徳とかもう全然理解出来ない思考回路の人ばっかり。母親を誤って竹槍で刺しておいて「こは母人か、しなしたり。残念至極」とか唖然。でも面白いから不思議。
どの登場人物についても一連の行動に感情移入出来ないのに、一瞬一瞬の感情の発露にはぐっと来るというか。ああでも母親を竹槍で刺してそれはないよね光秀。
ちなみに今回はかなり前の方の下手の端で見ていたので、光秀が竹槍を持って風呂場に近づく段階で、ちょっとだけ開いている風呂場の戸の間から文雀さん(母親さつきの主遣いさん)の頭が見えてて「わー!!光秀待て!違うよ!」と心の中でツッコミを入れていました。

光秀は勘十郎さん、妻操が和男さん、息子の十次郎が勘彌さんと、舞台上に袴姿が素敵なナイスミドル大集結(失礼)って状態で、人形じゃないところにもかなり気が行ってました。こういうことで盛り上がってるからミーハーだって言われるんだよね…。
しかし人形遣いさんの袴はどれもおしゃれだなあとか、そういうところに目がいくのはもうどうしようもないです。和男さんはちらっと見えた帯もなにやら素敵だった。


しかし、今回の公演はこの後更にすごいものが待っていました。
深雪です深雪。「生写朝顔話」の宿屋の段、大井川の段を通して観て、ヒロイン深雪(朝顔)の執念と妖力にしか見えない凄まじいパワーに魂抜かれました。
深雪は蓑助さん。序盤は盲目で足元もおぼつかなく、はかなげな立ち振る舞いだったのに、さっき言葉を交わした相手が初恋の阿曽次郎だとわかるやいなや、鬼女にでも化けるんじゃないかという勢いで髪を振り乱し、ほどけた帯を振り回しながら宿屋のおじさんを振り払って雨の中ひた走るという。あの光景を見たら男はむしろ逃げるんじゃないだろうか…という疑問が拭えません。
切場語りは嶋太夫さん。もう声じゃなくて血が出てませんか?というような語り。
大井川にたどり着いた時、美雪の持っていた杖折れました。演出じゃないはず。「めり」って音が聞こえたし。(そしてその杖をうち捨てる美雪もまた怖い…)
ほんと魂抜かれました。
幕が下りた瞬間、横で観ていたL先生と同時に「深雪こえー」と呟いてましたから…。

というわけで、今月の文楽、夜の部は非常にお薦めです。
見どころ、聞きどころ満載。
公演は23日までです。ぜひ。

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